誰かが居る空を見上げて-映画『コンタクト』

 

コンタクト [Blu-ray]

コンタクト [Blu-ray]

 

 

映画『コンタクト』を観ました。


SETIプロジェクトの研究者エリナー・アロウェイ(愛称エリー)はアレシボ天文台で探査と研究をしていた。しかし、先の見えないSETIプロジェクトに対し懐疑的な天文学の権威ドラムリンによって、エリーのチームは研究費とアレシボの利用権を打ち切られ、研究は中断を余儀なくさせられてしまう。
エリーは独自の資金源を求め各企業を渡り歩き、ついにS・R・ハデンという富豪スポンサーを得ることに成功する。こうしてニューメキシコの超大型干渉電波望遠鏡群を独自の資金で渡りをつけ探査を再開したある日、彼女は遂にヴェガから断続的に発信し続けられる有意な電波信号を受信。チームは色めき立ち、早速その解析を進めるが、独断でこれを公にしたことでドラムリンや政府(NSA)が介入。探査は進むが、次第にエリーの思惑とは関係ない方向へと事態が進行していく。政府の宗教顧問パーマー・ジョスやカルト宗教家、さらに出資者ハデンまでもがそれぞれの思惑で動き始めたことで、探査の主導権や解析結果の解釈を巡る駆け引きは政治と科学と宗教を巻き込んだ展開となる。

Wikipediaより)

SETIというのはSearch for extraterrestrial intelligence、つまり地球外知的生命体探査。宇宙人を探すSF映画ですね。終盤を除くと大半の時間は地球上の会議室とか観測室とかで、あまり派手さはありません。しかも上映時間2時間半もあって観る前はちょっと尻込みしましたが、テンポが良くて最後までずっと前のめりに観てしまいました。信号探知した瞬間の興奮といったらもう。現実にもSETIプロジェクトはありますが、やっぱりああやって電波望遠鏡を空に向けて待ち続けているんでしょうか。
「もし地球外からの信号が発見されたら」を丁寧に描き上げています。レポーターとしてCNNの本物が出ていたり、クリントン大統領(当時)の映像がそのまま使われていたり、泥臭い人間模様だったり、かなりのリアリティ。そしてそのリアリティのままに哲学的な問いを投げかけてくる映画でもありますが、退屈な場面は一切ないので心配はいりません。終始現実的というわけでもなく、終盤北海道が舞台になるんですが、いかにもアメリカ人のへんてこ日本感があって笑いました。その前の「日本が総下請の権利を得た」ってのは苦笑いですけど。あながち間違いでもない。個人的にはラストはちょっとご都合かなと思ったんですが、ところどころフィクション味というかエンターテイメントがあるおかげでそこまで違和感なく、すんなりと良い映画だったと思えました。『インターステラー』でおなじみマシュー・マコノヒーの若き姿を観ることもできますよ。

ジョディ・フォスター演じる主人公エリーは幼いころからずっと宇宙人がいると信じて研究してきたんですが、「根拠がない」「才能の無駄」などと言われ続けてきました。信号キャッチがもう少し遅かったらプロジェクトは解散して彼女は妄想癖の奇人として一生を終える羽目になってた。そんなエリーですが、科学者としての実証主義の立場から神には否定的なんですね。第一発見者として人類の代表者候補にもなりますが、審査会で無神論者ですと断言したため一時は落選します。マコノヒー演じるパーマー曰く「人類の95%がなにかしらの神を信じており、それを証拠がないと切り捨てる人間には任せられない」と。彼女自身が周囲から証拠がないと言われてきたのに。一方で、神を信じる人間が彼女の研究を笑うこともまた、矛盾ですよね。ドラムリン教授が本心から神を信じていたかは怪しいですが。
エリーは最初からもう絶対宇宙人いるって確信してて、その根源には亡くなったお父さんと交わしたやりとりとかがあるんですけど、とにかく根拠はないけど信じている。確率がめっちゃ高い、とまでは言えるかもしれませんが、信号検知の瞬間までは証明できていなかった。これって、神とどう違うんですかね。本人は無神論者と言いますが、周囲の無理解に耐えながら天からの声を聴こうとしている姿は、宣託を待つ異端の信仰者そのものに見えませんか。神だって、存在証明はないけど人類の95%も信じてるんだったら普通にいそうじゃないですか。確率的に。
物語のラスト、エリーは裁判にかけられます。最初から全部パトロンの仕組んだ狂言だったのでは、と。詳しくはネタバレになるので伏せますが、エリー自身は「彼ら」との「コンタクト」に成功します。しかし、用意したカメラ等は彼女の体験を何も記録できていなくて、結局巨額の予算ブッこんで何も証拠が得られなかったじゃん、となってしまう。その場でエリー自身も科学者として物的証拠はない、自分の幻覚だった可能性はあると認めます。認めますが、それでもなお自分の見たものを「たしかです」と言い切り、裁判は閉廷します。その様子はさながら回心者の告白のようです。パーマーも言うように宗教者は神との神秘的な出会いを経験するものですが、エリーの体験もまた「詩人を代表にすべきだった」と言うほどに美しく感動的でした。また、我々地球人がいまだ満足に宇宙進出できない現在、地球外知的生命体は理解の範疇を超えているという点では、ある意味神に近いですよね。私は典型的な無宗教者(無神論者じゃなく)なので神の定義があやふやすぎるだけかもしれませんが。
そうして裁判所を出たエリーを待ち受けていたもの、それこそが「信じる」という行為の結果なのかもしれません。それを目にしたとき、エリーはずっと空へ向け続けていた視線を地上へも向けることになったでしょう。全ては妄想だったのかどうかは、映画でご覧ください。

地球外生命体がいるかどうかという議論はもちろん現実にもあって、ドレイクさんという人によれば計算すると銀河系には10個の文明があるらしいです。*1まあいそうですよね。星めっちゃ多いし。どっかにおるやろ、と。知的じゃない生命の痕跡ならもう見つかってるんでしたっけ。ただ、今のところ文明らしきものはさっぱり見つかってはいない。
劇中何度か「地球人だけだと宇宙/空間(スペース)がもったいない」と言うように、もし本当に全宇宙で地球だけが文明を持つなら、途方もなく寂しいことです。その絶大な孤独を想像すると、私たちは自分の存在そのものを疑ってしまう。我々はなぜここにいるのか、と。映画の冒頭シーンは、端的に宇宙における孤独を掻き立てます。地球から発せられるテレビやラジオやその他ありとあらゆる電波が、地球から離れるにつれ数が減り昔のものになり、やがて人類最初の電波放送を追い越すと、そこにはただ無の空間が広がっている。映画ではキャッチしてもらえたわけですけど、果たして現実はどうでしょうね。パイオニアヴォイジャーの運命や如何に。*2
個人的には、地球以外誰もいないというのも、それはそれで良いなあと思うんですけどね。どうあがいても私たちは本質的に孤独に取り囲まれているなんて、ゾクゾクしませんか。

*1:ドレイクの方程式 - Wikipedia

*2:この映画はカール・セーガンの小説が原作なんですが、セーガン自身が天文学者でこのパイオニアヴォイジャーの計画にもかかわっています。映画公開を待たずに亡くなり、エンドクレジットには「For Carl」と添えられています。