肉体を捨てられない人たち - 映画『レディ・プレイヤー1』

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映画『レディ・プレイヤー1』観た。

まずはオタクが散々大騒ぎしてるガンダムだのなんだの盛りだくさんのやつ。オマージュ?パロディ?なんていうのそういうやつ。ソフトウェア内に隠されたいたずらを「イースターエッグ」って呼ぶのをこれで初めて知ったけど、劇中でもゲームの中に隠されたイースターエッグがキーだったりしていた。制作者の遊び心にプレイヤー(観客)が気付いてくれるっていう一種のコミュニケーションみたいな。私はオタクじゃないので(強調)置き去りにされたらやだなーって思いながら観に行ったが、まあ割とわかって面白かった。序盤に『OverWatch』のキャラがチラっと映って意外と守備範囲広いのでは、と思ったら本当に広かった。たぶんわかった以上にめちゃくちゃ見落としてる。特に長い尺使ってた某名作ホラー映画とかは観といてよかったなって思った。

どういう話かって言うとフルダイブVRのMMORPGで愉快な仲間と共に悪辣な巨大資本を撃退しつつお宝ゲットみたいな、そんな感じ。開発者が遺言で「探せェ!この世のすべてをそこにおいてきた!」って海賊王みたいなことを言ったせいで、それを求めて全プレイヤーが争奪戦してる状況。この世のすべてっていうのは仮想空間オアシスの全所有権。冷静になるとなんか三流なろう小説みたいだなって思わなくもないが、まあそういうとこ見る映画じゃないんでね。たぶんね。むしろなろうレベルの筋書きでも普通に見ごたえある映画になってるのがハリウッドって感じ。一番の見どころはやっぱり最終決戦の集団戦闘シーン。私もネトゲプレイヤーの端くれなので、ああいうのワクワクしする。あの戦ってるのひとりひとりが一般人のプレイヤーなんだぞ。燃えるだろうが。そもそも、全プレイヤー参加型イベントが面白くないわけがない。根性版FF14のクローズ時もなんかそういうのやったみたいだけど、現行FF14もそういうのやらんか。難しいだろうな(サーバー負荷的に)。

観てなくてもわかると思うんで書くが、最終的に主人公パーティーは戦いに勝利してヒーローになる。現実世界は一部の富豪以外人々は大半がスラムみたいな暮らしの荒廃した社会で、主人公も両親を亡くし家はボロボロ里親には邪険にされるヒョロガリのナード、っていう絵にかいたようなアレなんだが、そんな彼もオアシスの中だとイケメンのやり手冒険者なのだ。ありがちね。戦いの中で出会った美女キャラに舞い上がり現実と仮想の区別がつかなくなって惚れちゃったり。普通そこは中身はハゲのおっさんであるべきだろ!と思うけど、まあ実際会ったら普通に美人が出てきてハイハイみたいな。
ゲーム自体も中で稼いだ「コイン」が現実の通貨として使えるなど、仮想空間とはいえもはや現実と限りなくシームレス。ゲームというよりはすでにインフラの域。現実社会が荒廃しているからこその普及率なのかもしれない。リアルマネタイズはチートの原因にしかならんと思うが、悪役も律義に内部ルールに従って悪さしてるあたり、そのへんのセキュリティも完璧なんだろう。開発者が神格化されるのも納得。吉田神*1も頑張れよオイ。


争奪戦も、ゲーム内での王者=現実での巨万の富、になってて、なんというか仮想の勝利がそのまま現実の勝利っていう図式、最近多くないか。勝利とまではいわずとも、ゲーム内で知り合った女の子と現実でもくっついたりとか、そういうやつ。フィクションのみならずノンフィクションでも、FF14の『光のお父さん』だってある意味仮想と現実が地続きになってる物語じゃん。個人的にはそういうの苦手なんですけど流行りなのか。まあ、肉体を捨てて精神だけの存在みたいなのは当分無理だろうし、現実世界あっての仮想世界なんだから、それも当たり前っちゃ当たり前なんだけど、やっぱ、私は部屋から一歩も出たくない派なのでそういうの嫌だ。なにお前らちゃっかり現実もやっとんねん、と。仮想空間に入るならその肉体捨てろと、そう思う。冒頭のモノローグ、社会がめちゃめちゃだからみんな仮想空間オアシスでよろしくやってるよみたいなことを言うんだが、なんとなくそれが「逃避」してるみたいなニュアンスを含んでいる。実際そうなのかもしれないが、逃避した先で現実大逆転の手段が用意されているって、都合がよすぎるでしょ。お話としてのご都合主義とかじゃなく(それもあるが)、もはやそれは神の手の平の上で踊るのと同じじゃないのか。この場合の神は開発者のハリデー氏だが。本当にお前らそれでいいのか。

*1:スクウェア・エニックス取締役執行役員吉田直樹。オンラインRPGファイナルファンタジー14』プロデューサー兼ディレイクター。